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宮本常一「女の民俗誌」(岩波現代文庫)を読了。氏の死後、岩波現代文庫のために編まれた本である。 昭和30年代中ごろまでの日本において、女性たちが、貧しさゆえ厳しい生活を迫られ、非道な扱いを受けながらも、たくましく、ときにしたたかに生きる姿を活写している。 その巻末に、氏が母について記した文章が収録されており、こんなくだりがある。 母に教えてもらった唱歌のうちのいくつかはいまもおぼえている。その歌をうたうと、キラキラとまばゆいばかりに日の照る山道をのぼっていった日のことが絵のように思い出されて来る。母とあるく道はすべて美しかった。 また、その山道を歩いていて雷雨にあったときのことを、こんなふうに描いている。 母は私を見て「おそろしかったの」といった。そのときの母をほんとに美しいと思った。 こうしたふうに自分の母親を賛美できる男性が何人いるだろう。宮本氏の女性を見つめる視点があたたかいのは、そのせいか。 しかし、こんな記述も散見される。 過去のすべての女がけっして男のいいなりになって動いていたわけではない。女には女の世界があったのである。 共働きの単一家族の世界においては男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった。 彼女にとってきびしすぎる工場の生活すらが、かがやかしい思い出になって、今日を生きぬく力にもなっているのである。 男性の視点から見た勝手な認識だとか、問題の根本的な解決を遅らせる、という批判があるかもしれないが、それはあたらない。 「自然は寂しい/しかし人の手が加わると暖かくなる/その暖かなものを求めて歩いてみよう」という文章が、宮本氏の自然観を表す言葉としてよく取り上げられる。しかし、私には、自然観だけではなく、氏の肯定的な人間観や社会観が示されていると感ぜられる。先の文章も、その現れであろう。 民俗学というと、柳田國男の『遠野物語』がすぐに想起されるかもしれない。その中では、河童や座敷童、神隠しなどが、どこか別の世界の特殊な風俗として語られる。 宮本常一は違う。庶民の目の高さから見た庶民の生活が、宮本氏の著作にはあふれているのだ。ぜひとも、名著「忘れられた日本人」を手に、「旅する巨人」宮本常一とともに、ちょっと昔の日本を旅してみてほしい。 |
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9月の読書
開高健「ベトナム戦記」(朝日文庫) シェイクスピア「ハムレット」(新潮文庫) 宮本常一「女の民俗誌」(岩波現代文庫) ...続きを見る |
本の虫 2006/10/02 08:25 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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日本を旅した民俗学者 宮本常一。その足跡を地図に印すと忘れられた日本人が視えてくる。 |
宮本常一を語る会 2007/02/22 23:36 |
宮本常一を語る会のブログを拝見しましたが、私などにコメントいただき大変光栄です。 |
本の虫 2007/02/23 18:04 |
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