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help リーダーに追加 RSS 三浦しをん「私が語りはじめた彼は」(新潮社)

<<   作成日時 : 2007/09/24 10:58   >>

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 三浦しをん「私が語りはじめた彼は」(新潮社)を読了。「結晶」「残骸」「予言」「水葬」「冷血」「家路」の6編からなる連作短編集。素敵なタイトルは、田村隆一氏の詩『腐刻画』から取られている。

 巻末に掲載されているのは後段だけなので、その詩の全文を引用する。

 ドイツの腐刻画でみた或る風景が いま彼の眼前にある それは黄昏から夜に入ってゆく古代都市の俯瞰図のようでもあり あるいは深夜から未明に導かれてゆく近代の懸崖を模した写実画のごとくにも想われた

 この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した その秋 母親は美しく発狂した

 大変申し訳ないのだが、田村隆一氏のことはおろか詩について何の素養もない私にはちんぷんかんぷんである。勝手な解釈をすれば、第三者になぞらえて時代の変換点に立ちつくしている自分を表現したものだろうか。

 とまれ、この小説の作者は、詩そのものではなく、「腐刻画」という言葉からタイトルを想起したと思われる。

 「腐刻画=Etching(エッチング)」の技法が、銅版を酸で腐食させ線を浮かび上がらせるごとくに、三浦しをん氏はこの小説で、関わった人々の証言からひとりの人間の輪郭を浮かび上がらせようとしたのではなかろうか。

 しかし、それも思い込みにすぎないのかもしれない。物語を読み進めても、肝心の輪郭が浮かび上がってこないのだ。いや、むしろ読み進むほどにぼやけてしまうと言った方が正確であろう。もしかすると、それが作者の本当のねらいなのかもしれない。

 1作目の「結晶」では「私が語りはじめた彼=村川融」の助手が主人公であり、村川の女性関係を揶揄した匿名の手紙を携え彼の妻に会いに行くところから物語が始まる。しかし、村川の妻との会話は真実を明らかにする方向に進むのではなく、真実から主人公を遠ざけ、あまつさえ主人公が依って立つ基盤さえも危うくする。村川教授との関係や恋人への信頼までもが不確かなものに思えてくるのだ。

 我々が普段確かだと信じているものが、芝居の書割のように裏側に回ると頼りない本当の姿を現すように、「真実」のもろさを描き出した完成度の高い作品である。しかし、この作品の完成度の高さと2作目の発表までの期間の長さも、この小説集全体の構成が後付けではないかと感じる理由になっている。

 全体を通しての完成度はともかく、「結晶」の見事さを味わうだけでもこの本を手に取る意味はある。

 また、あっさりと自分の命を投げ出す若い人たちに読んでほしい文章もある。

 今度の出来事で私に根ざした苦しみも困惑も、そのうち溶けて薄れゆく。毎朝、真沙子がいれる紅茶のカップから立ちのぼる湯気の中に。あわただしくめくる書類の隙間に。「残骸」

 高校生のころは、すべてが失われ、損なわれたと思って腹を立てたりしたが、そうじゃあなかった。
 幸せだったころの家族の記憶も思い出も、すべてはもうだれにも奪われない、損なわれないところで眠りについたのだ。「予言」


 「風が強く吹いている」とは別の意味で魅力的な作品だ。

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