|
関根眞一「となりのクレーマー」(中公新書ラクレ)を読了。モンスターペアレントという言葉が一般的になったのは、ここ1年ぐらいのことだろうか。学校に対して理不尽な要求を行う保護者を指すのだそうだ。これに限らず、自分の権利を声高に叫ぶ風潮が日本社会にまん延している気がする。 はるか昔に大学の法学の授業で、イェーリングの「権利のための闘争」をテキストにした講義を受けたことがある。各人が自分の権利を法廷で争うことが、法を整備することにつながるという内容だった。したがって、権利を主張することは自分のためだけではないということだ。しかし、当然のことだが、理不尽に権利を振りかざしても合理的な法整備には結びつかない。 この本ではクレーマーをこう定義している。 快楽として「困らせよう」としている人 また、「まともな苦情」は企業にとって必要な情報であり、「まともな苦情者」を「クレーマー」にしてはいけないとも説いている。 私もクレーム対応のための研修を受けたことがあるが、金品の要求をともなう苦情がクレームであるとの説明に納得できなかった記憶がある。かように、「まともな苦情」とクレームの境目を明確にすることは難しい。 著者のように「お客様相談室」ではないが、私も比較的多く苦情を聞かなければならない部署に在籍したことがある。そのときの経験では、苦情(クレーム)を繰り返す人たちは、問題を解決したいというより苦情(クレーム)を言い続けたい、あるいは聞いてもらいたい欲求があるのでは、という印象を持った。 また、相手によって解決策が違うということも感じた。話をよく聞くことが解決につながることもあれば、強気に出てきちんとこちらの主張を述べることが解決につながることもあったからだ。 短気な私にはつらい仕事だったが、著者の言う「苦情学は人間学」には納得できる。しかし、対応が相手の「人間」によって異なるということは、すなわちマニュアル化することの難しさと同義なので、対応策を説こうというこの本の意義と反することにもなるのだが。 |
| << 前記事(2008/01/03) | トップへ | 後記事(2008/01/08)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
またまた、1月の読書
横山秀夫「震度0」(朝日新聞社) 関根眞一「となりのクレーマー」(中公新書ラクレ) 三浦しをん「むかしのはなし」(幻冬舎) 重松清「なぎさの媚薬」(小学館) 木村哲也「『忘れられた日本人』の舞台を旅する」(河出書房新社) ...続きを見る |
本の虫 2008/02/01 10:55 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/01/03) | トップへ | 後記事(2008/01/08)>> |