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木村哲也「『忘れられた日本人』の舞台を旅する」(河出書房新社)を読了。著者の木村さんは、周防大島文化交流センターの学芸員である。木村さんは大変に立派な人である。立派であると同時に恵まれた人である。したがって、この本も立派であり、かつ、恵まれた本になっている。 この本によれば木村さんは、大学入学直前に「忘れられた日本人」を読んで感銘を受け、大学時代、3年半をかけて宮本常一の全著作を読破したそうだ。 全著作と一口に言っても、未来社から出版されている「宮本常一著作集」だけでも、現在までに本巻49冊+別集2冊の51冊が出版されている。全著作になったら、著者が大学生当時でも相当の数にのぼるのではなかろうか。それをすべて読破したというだけでも立派なのだが、その著作のもととなった膨大なフィールドワークをたどって旅をしたというのだから、さらに素晴らしい。 それほど宮本常一にほれ込んだ著者が、現在は、宮本常一の業績を収蔵・展示する周防大島文化交流センターの学芸員というのだから、これほど恵まれた人生も少ないのではないだろうか。 私が「宮本常一」と出会ったのは、およそ10年ぐらい前になる。現在、東北芸術工科大学東北文化研究センター所長である赤坂憲雄氏の著書「東北学へ」(作品社)で、その名を知ったのが最初だ。 この「東北学へ」は、東北を拠点とする「赤坂民俗学」宣言とも言える本なのだが、柳田国男が発見した「稲を作る常民たちの東北」というイメージを幻像と断じ、日本のすみずみまでが均しく「瑞穂の国」であるかのごとく説く「ひとつの日本」論を否定するところから始まっている。いわば、柳田民俗学に反旗をひるがえした本なのだ。 しかしながら、この本の中で宮本常一がとりわけ大きく取り上げられているわけではない。3巻構成の中で、何度かその論考や著作からの引用がされているに過ぎない。 しかし、第1巻の序章で、「『忘れられた東北』の旅は、やはり初めての東北の秋を起点として始めた」とか、「ひたすら歩く・見る・聞くための、たとえば野辺歩きと称してみるほかない旅を続けている」などと書かれているのを読むと、本文の中での宮本に対する態度とは別に、赤坂氏の宮本常一に対するオマージュを感じないわけにはいかない。 事実、第2巻のあとがきでは、こうした聞き書きの旅の行く手には常に「『忘れられた日本人』が導きの灯のように揺れていた」とまで書いているのだ。 考えてみれば、『忘れられた日本人』という本は、支配者の視点からつづられた「歴史」の中で被支配者としてくくられる「大衆」の一人一人に豊かな「歴史」があることや、そうした人々が搾取されるばかりでなく、生活を豊かにするエネルギーや生活を楽しむ知恵にあふれていることをくり返し説いているのだ。それぞれの地域にある豊かな文化を捨象した柳田民俗学に昂然と反旗をひるがえし、「いくつもの日本」を探し求める旅を続けている赤坂氏が宮本常一に共感を覚えるのも無理からぬ話である。 その点からすると、木村氏が、宮本の福島県磐城郡(現いわき市)への旅を追体験した章で、水田が広がる田園風景を「稲そよぐ瑞穂の国ニッポンにふさわしい典型的な風景」とし、「『忘れられた日本人』は、典型的な描かれ方をする日本の村をことさら避けて書かれている」としているのは、あまりにも一面的に過ぎる見方ではなかろうか。 ともあれ、ここまで宮本常一を追体験した本はやはり貴重である。木村氏の文章までもが、宮本のそれに似ているような気がするくらいだ。 しかし、宮本常一を賞賛するばかりでなく、批判的な視点も必要であろう。そして、冷静な眼で宮本の業績を評価することが、民俗学の今日的意味を改めて掘り下げることにもつながるのではなかろうか。 |
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またまた、1月の読書
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本の虫 2008/02/01 10:55 |
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